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陽子の日記
22年12月
 
   12月30日
 
 
年の瀬となり私は納豆作りに追われ、御鏡さんの餅つきは30日となってしまいました。
今日は孫も手伝って10kgのもち米であんこ餅に平餅、7か所に飾る御鏡餅と
作り上げます。孫は餅つきが嬉しく、主人からのアドバイスを受けながら
釜戸にマキで火を燃やす担当です、しかし、餅を丸める仕事も有ります。
雪の降る寒い日、福岡から来た孫は大喜びで餅つきの手伝いです。
 
   12月27日 
 
今日は雪、今年初めての積雪です。昨夜、
福岡の孫が1人、高速バスで帰省しました。
小学3年生で今回が2回目の帰省となり
バアチャンの心配がちょっと減りましたよ。
孫が山都町に着く頃から雪が降り出し
今朝は大雪と成っています。
1月2日に還暦祝いを佐賀の同級生で
行う予定ですがこの雪では参加出来るか
心配です。遠方へ嫁ぎ、同窓会に参加で
きませんでしたので今回は是非参加したいと
考えていたのですが残念です。
 
   12月24日 
 
朝の霜が強くなった頃、庭のバラは
寒さに震えながら空気が温まるのを
じっと空を見上げながら待ちます。
周りは鳥たちがさえずり、柔らかな風が
この葉をゆすります。
今夜は大人ばかりの我が家で
小さな小さなクリスマスです。
一番小さなクリスマスケーキを
買って来て90歳の義父を喜ばせます。
義父は素直ではなく
「こぎゃんこまかケーキかい」と一言
大きなケーキは食べれないでしょう。
小さいケーキを4等分したくらいが
ちょうどいい美味しさになります。
大きいと私の分け前が多くなり
食べると益々体重が重く成る要因、
成人病の根源となります。
自分の健康の為、小さいケーキで
 お祝いです。この所、
本物の納豆屋さんとして毎日
仕込みに追われています。
 
   12月20日 
 
悲しいことが起こりました。
隣のご主人が他界されたのです。
73歳です、まだまだ若いのに
人間の一生とは不思議なものですね。
私達もいつ、どのような事が起こるのか
明日を知ることはできないのです。明日が
有るもの、として生活しているのですが
今と言う時間を大切に頭の隅に
いつも考えて置く必要があるようです。
庭から出たらこの様に素晴らしい風景です。
 
   12月17日 
 
このトンボの写真は数年前の写真です。
お嫁に来た当時の秋の空に沢山の赤とんぼ
が舞う姿に感動したものでしたが
今年の秋はとても少なく感じました。
今日は熊本の県畜産協会の方へ
お手伝いに出かけて来ました。
熊本一円の畜産関係の婦人部役員が
集まることで各地の生活を知ることが
でき、一緒に料理をしたり、畜産の勉強を
することで、自分たちの環境が
広がっていくことを感じます。
 
 
   12月13日 
 
自分らしく生きる事で農家へ嫁いだ事を
後悔したくない、その思いで
ホームページを作り、多くの人と対話が
できる喜びを知りました。
この頃はお陰さまで商売よりも
交友関係の幅が広がり
お金は後から付いてくる事を感じています。
これは主人や多くの人に見守られて
生活できる環境に感謝しています。
 
    12月9日
 
     

12月になると例年のように寒くなりました。
花壇の菊も頭の上が流れ始め、長い間
美しい花見る事ができ、ご苦労さんと言って
剪定をしてあげないといけません。
朝晩の冷え込みで牛の水桶のバケツに
氷が張っています、でも今年は暖かい年でした
ね、寒暖の差の激しい年の様です。
この頃は多くの人々と接することが有り
楽しい日々を過ごしています。何事も
1つの事をやり遂げる、そこからすべてが
始まるようです。ホームページ作りは
儲ける為ではなく、多くのお友達を見つける
交信の場である事に気が付きました。
これからもどんどんメールを下さいね。 
   12月6日 
 
シニア情報アドバイザーの講習を受けに
市内へ出かけてから、体調が崩れ
ようやく正常な生活へ戻ったようです。
やはり加工所の仕事を1人で進めている為
納豆作りを休む訳にはいかず、睡眠
時間が2時間と言うハードな生活でした。
「成せば成る、成さねばならぬ何事も
成さぬは人の成さぬなりけり」と言う
詩だったでしょうか?
私は何事も一途に突き進む性格の様です。
1段ずつを踏みしめてクリアしていきます。
時間がかかるかも知れません。
どうぞ、皆様、見守って下さいね。
 
   12月4日 
 
12月に入り体調がすぐれないまま
母の形見分けをしたいと義姉さん達が
いらっしゃいました。
まだ義父が亡き母の衣類すべてを
管理している為、私はよろしくお願いしますと
言い納豆の仕込みに入ります。昔、農業で
苦労した義母はおしゃれをする事も無く
年金生活に入ってようやく自由にお金を
使う事ができた時代です。
義母が54歳の時、私が嫁いで来て
農業生活の厳しさを実感し、勤め生活へ
兼業農家の始まりとなったのです。
昔も現在も小さい農家では食べて行けません。